大神異見聞録・外伝

星の在り処・其の弐

  • 凶悪な妖気がピリピリと肌を奮わせる。
    忘れもしない、忘れるわけがない。
    200年前、星の海より飛来した大王蛇・ヤマタノオロチ。
    その目は紅いほおずきのように紅く、一つの胴体に頭が八つに尾も八つ。
    巨大な体躯は山のように巨大で、黄金に輝く禍々しい結界を纏い、あらゆる攻撃を
    跳ね除けた最凶の大妖怪。
    200年前はその結界をこじ開け首一本落としたまではいったものの、それ以降は歯が立たず、
    筆神二神の命を犠牲にし、自らもこのヤマト内に封印されてしまうという三貴子にあるまじき大失態を演じてしまった。
    完全な黒星に、スサノヲは憤怒の形相でかつての宿敵を睨む。
    【ダレカト思エバ、負ケ犬ノ田舎大神デハナイカ。クカカカ…マタ我ニ喰ワレニ来タカ?】
    八本の首がそれぞれ喉を鳴らして嗤う。
    スサノヲはそれらを鼻で笑い飛ばし、不敵に哂う。
    「無礼るなよ、化物ども。この前は不覚を取ったが、これ以上貴様らの好きにはさせん。
    我が剣の露と消えよ、悪鬼ども!」
    その手に、アマテラスより下賜された八握剣が金色の光とともに出現する。
    あくまで視線は眼前の大妖怪から逸らさず、後ろに控えていた幽神にだけ聞こえるように話す。
    「いい?幽ちゃん。奴の周囲の水路に酒を注ぎ込んだらできるだけ離れて。そこから援護をお願い」
    「い…嫌です!!」
    期待はずれの返事に、スサノヲはぎょっと振り返る。
    「アイツはこれまでの妖怪とはワケが違う!俺が仕留め損なったようなヤツなんだ!
    そんなヤツに女の子を巻き…」
    「女とか男とか、そんなの関係ありません!!」
    ピシャリと一喝する幽神に、スサノヲは息を飲む。
    普段のんびりとしていて、なんでも笑って済ませるような彼女からは想像もできないような気迫だ。
    「あ、あたしだって筆神です!慈母から賜った筆しらべだけでなく、ちゃんと戦えます!!
    確かに濡ちゃんみたいな回復術は使えないし、筆頭みたいな破壊力のある攻撃ができるワケじゃない…
    でも、あたしだって悔しいんです!あ、あんなにタカマガハラを滅茶苦茶にしたヤツなんて、
    絶対、絶対に赦さないんだから!!」
    目に涙を浮かべ、頬を紅潮させながらどこから取り出したのか、暗器を両手に構える。
    「あたしに、戦わせてください」
    涙で少し潤んだ瞳が、真摯に自分を見つめてくる。
    紅い、紅玉のような瞳が。
    燃える、太陽のような激しい瞳が自分を見つめていた。



    「大聖さまぁー、大聖さまってばぁー」
    扉の向こうで自分を呼ぶ声にハッとなる。

    あれから一体どれくらいの時間物思いに耽っていたのだろう?
    外を見るともう夕暮れもすぎ、満月が濃紺の空に昇ろうとしていた。
    「大聖さまぁー、出てこないなら今度から『シスコンニート』って呼びますよぅー?」
    「それとも『脳筋大将』がいいですかぁー?」
    バタン!と勢いよく扉をあげ、好き勝手に騒いでいた世話係の天神族二人の襟首を掴んで締め上げる。
    「お前たち、バラバラに引き裂かれるのとコナゴナに砕かれるの、どっちがいい?」
    ツクヨミ譲りの紳士スマイルに、こめかみに浮かび上がった血管が何やら危険だ。
    「やだなぁー、冗談ですよぅー」
    「そうですよぉー、何回呼んでも出てこられないもんだから、ちょっと遊んでみただけじゃないですかぁー」
    締め上げられながらも笑顔を絶やさないのはヤクモとイズモという双子の天神族だ。
    「女性に世話係などさせられない」と言い張るスサノヲが選んだ、スサノヲよりやや年下に見える
    若い天神族の青年たちだ。
    まったくの瓜二つで、スサノヲ以外が二人を見分けるのは難しい。
    語尾を「う」で伸ばすのがヤクモで、「お」で伸ばすのがイズモだ。
    最初は畏まっていた二人も、スサノヲの性格もあってか、すっかり打ち解けて主従というよりは
    友達感覚で接している。
    「それで、一体なんだ」
    「お客人ですよぅー」
    「客?」
    「聞いて驚かないでくださいよぉー、なんと女性のお客人ですよぉー」
    別にそれくらいでは驚きも何もしないが。
    通された客とやらに、スサノヲの目が丸くなる。
    「幽ちゃん…」
    「えへへ…こんばんわ、大聖サマ」
    「え…どしたの?今日は皆で神木祭に行くんじゃ…」
    言いながら、また鼓動が速くなるのをスサノヲは感じていた。
    そんなスサノヲの動揺を知らずに幽神は「えへへ〜」と照れくさそうに笑ってみせる。
    「弓ちゃんに手伝ってもらって酒団子を作ったんです…神木祭に行くのにぜひ大聖サマに
    食べてもらいたくて…」
    伏せ目がちに、頬を染めながら風呂敷を差し出す幽神。
    「…わざわざ、俺に?」
    「ハイ。だって大聖サマ、復活されてから初めての神木祭でしょ?
    大聖サマお酒好きだし、クシナダちゃんのお酒ももちろんだけど、酒団子で楽しんでもらいたいなぁって…
    大聖サマ、ミカンお婆ちゃんの桜餅、あんまり食べないでしょ?」
    餅類は嫌いではないが餡子が苦手なので、毎回申し訳ないと思いつつ手を出さずにいた。

    それを、憶えててくれたのか…。

    女性からの差し入れはこれが初めてではない。毎日何かしらもらうぐらいだ。
    こんな事は慣れているはずなのに。
    胸の鼓動が、また少し速くなったような気がした。
    と同時に、柔らかい何かが心に入り込んでくるのを感じた。
    それはまるで乾いた砂漠に水が浸み込むかのように、優しく温かく、スサノヲの心の一番深い琴線を弾いた。
    「…ねぇ、幽ちゃん」
    「ハイ?」
    「よかったらなんだけど…連れて行きたいところがあるんだ。
    俺だけの…とっておきの場所」
    「とっておきの場所?」
    「うん。俺だけしか知らないとってとおきの場所。今年は幽ちゃんと一緒に行きたいんだ…」
    微笑むスサノヲに、幽神はポカーンと口を開けたまま。
    同じく、ヤクモとイズモも、文字通り目を丸くして突っ立っている。
    何か変な事でも言っただろうか?
    「…幽ちゃん?」
    「…い…いいんですか?そんな場所に…その、あたしが行っても」
    もじもじとしながら上目遣いで見つめてくる幽神。
    その様子に、今度はスサノヲのほうがピタリと動きを止めた。
    「…あ、うん…。幽ちゃんと、行きたいんだ」
    その台詞に、イズモとヤクモが「おぉ〜!!」と感嘆の声を上げる。
    「は、ハイ!行きます!ぜひ連れて行ってください!」
    目をキラキラと輝かせる幽神に、スサノヲもふっと微笑む。
    「じゃあ行こうか」
    「ハイッ!」
    出掛ける二人を見送り、大聖院にはイズモとヤクモが残された。
    静かになった廊下で、二人は向き合い手を組む。
    「どうするヤクモぉー!こんな事初めてでオレ、ナンセンスハイテンションだよぉー!」
    「オレだってそうだよイズモぅー!大聖さまが女の子誘って、しかも二人っきりで
    外出なんて明日はきっと槍と剣がザックザク降るよぅー!」
    「「おお、我らが慈母アマテラスさま!これは天変地異の前触れなのでしょうかぁー!!」」
    二人の悲鳴のような声が、タカマガハラの静寂を破り、無意味に木霊した。

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