大神異見聞録・外伝

星の在り処・其ノ参

  • 神木村ー。
    かつては忌まわしい生贄を差し出す習慣であった十五夜も、今となっては英雄イザナギ、そしてその子孫で
    あるスサノオによって、英雄伝として語り継がれている。
    すでに神木村に集まった筆神たちは好き勝手に宴会を始めている。
    爆神とタマヤはどちらが華麗な花火を上げるかで競い、壁神と濡神、燃神がそれを楽しそうに眺めている。
    断神はスサノオとクシナダの息子・クニヌシに剣の持ち方や構え方を教えてやり、撃神はカリウドと共に
    互いの獲物について熱心に語り合っている。
    蘇神と凍神はミカン爺とミカン婆に桜餅と秘蔵酒を振舞われ、村人たちとの世間話に花を咲かせている。
    風神はムシカイとかけっこに夢中になり、花三神は陽気な音楽を奏で祭りに拍車をかける。
    村の入り口に降り立ったスサノヲと幽神は、その間を縫うように歩いてご神木のある村のはずれを目指す。
    「…誰もあたしたちに気づかない…なんで…?」
    スサノヲに手を引かれ進む幽神が不思議そうに周囲を見渡す。
    すぐ横を通っているというのに、誰一人として二人の存在に気づかない。
    人だけではなく、筆神たちの誰も、二人のことが見えていないのだ。
    「ナカツクニは俺の領分だからね、気配を隠すくらいどうってことないよ」
    「そ、そーなんですか…」
    その言葉に―正確には二人でとっておきの場所に行きたいと誘われたときから―幽神は頭が混乱して
    オーバーヒート寸前だった。
    (えーと、えっーと!あたしは大聖サマに酒団子を届けに行って!んでもって一緒に二人で
    出掛けようって誘われて!んでもって誰にも気づかれないようにってことはこれってことは
    もしかしなくても二人っきり!?二人っきりだよねぇ、これぇ〜!!!!!)
    まさかの超展開に動揺しきっていた。しかもいつの間にか手を握られ、内心悲鳴が止まらない。
    (どぉいうことなんですかぁ〜、大聖さまぁ〜!!?)
    「着いたよ」
    言われ、はっと顔を上げると、ご神木前の鳥居の前だった。
    ふわりと風が舞い、村中を覆っていた桜吹雪が勢いを増し、薄桃色の光がご神木の前に現れる。
    やがてそれは人型となり、花びらを散らしながらご神木の精・コノハナサクヤ姫が出現する。
    『おお…我が君、大聖スサノヲ…!お待ち申しておりました!
    ご復活された際に流れ込んできた逞しくも熱い神力…このサクヤ、確かに受け取っておりました』
    恭しく頭を垂れ、最上級の拝礼をするサクヤに、スサノヲは頭を上げるように言い、その頬に手を伸ばす。
    「来るのが遅くなってすまない。一人で心細い思いをさせちゃったね」
    『いえ…こうやって触れてくださるだけでも、サクヤは至福にございます…』
    そんなサクヤの手を引き抱き寄せるスサノヲと、頬を染め涙を浮かべるサクヤに、幽神はさっきまでの動揺が
    嘘のように引いていくのを感じた。
    「サクヤ、早速で申し訳ないんだけど、いつもの、お願いできるかい?」
    『はい。仰せのままに、我が君』
    サクヤが優雅に両手を広げると、鳥居の上で燃えていた狐火がポツポツと増え、まるで見えない階段でもあるかのように
    左右に分かれて地上から鳥居の上まで延びてゆく。
    「さぁ、幽ちゃん。行こう」
    「あ、は、はい…!」
    無理やり笑ってみせ、差し出された手を取る。そのまま、スサノヲと幽神は螺旋階段を登るかのように
    狐火に照らされた空中回廊を歩く。
    たどりついたのは、ちょうどご神木のてっぺんにあたる場所だった。
    そこには大きなコノハナが一輪、ゆらゆらと揺れていた。
    「乗って。大丈夫、風神の突風でも吹き飛びやしないから」
    「は、はい」
    さくっという優しい感触とともに花の香りがふわりと広がる。
    その香りを胸いっぱいに吸い込みゆっくりと座り、幽神は周囲を見回す。
    「うわぁ〜…!!」
    眼下に広がるのは神木村のすべてだった。
    村の入り口の桜並木、スサノオの家、そして村を流れる小川、クシナダの田んぼ、ミカン爺の家の大きな
    神木ミカン、櫓へ至る石畳の階段。
    全てが一望できる場所だった。
    「すっごーい!こんな場所から村を見れるなんて…」
    「だろ?姉上も知らない秘密の場所なんだ。サクヤに頼んで村が見渡せるようにしてもらったんだ」
    「へ…へぇ〜…そうなんですか…」
    笑顔が引きつるのを自分でも感じながら、幽神はそう答えることしかできなかった。
    「…仲がいいんですね、サクヤちゃんと…」
    「え?うん、まぁ…サクヤと俺は一心同体だからね」
    あくまでその本質的な意味として。
    ナカツクニの大地そのものであるスサノヲとサクヤは物理的にも精神的にも【繋がっている】のだ。
    スサノヲが女性に紳士的なのは元より承知だが、あんな風に熱い抱擁を交わしているのを見たのは初めてだった。
    酒団子と一緒に用意した大切な言葉をどうしたものかと迷いつつ、一旦胸の奥に仕舞い、
    せっかく二人きりになれたのだから、存分に楽しもうと幽神は決めた。
    瓢箪を呼び出し、杯にとくとくと酒を注ぎ、酒団子の入った風呂敷を広げる。
    「さぁさ、大聖サマ!どうぞ」
    「ああ、ありがとう。頂くよ」
    瓢箪の酒はこの日の為に造られたものを、事前にクシナダに頼んで分けてもらっていたのだ。
    「じゃあ幽ちゃん、乾杯」
    「ハイ!乾杯です!」
    くいっと豪快に飲み干す大聖に、こくこくと喉を鳴らしながら呑む幽神。
    「はーーーーー…!さすがはクシナダ。このまろやかさがたまんない」
    「ぷはぁ〜…!ですよねぇ〜」
    銘酒が五臓六腑に染み渡り、思わず唸らずにはいられない二人。
    「じゅあ今度は幽ちゃんの酒団子を頂こうかな」
    「えへへ…お口に合えばいいんですけどぉ…」
    差し出された皿に山積みされた団子を一つつまんでひょいと頬張る。
    口の中で吟味している様子を、幽神はハラハラしながら見守る。
    「……すごい」
    スサノヲの第一声はそれだった。
    「…これ、300年以上寝かせた銘酒『響-とよみ-』じゃない?この独特の…
    果物に似た香りとコクが、団子の甘さとすんごい合ってる…すごいよ、幽ちゃん!!」
    「え、えへへへ〜!大聖サマこそすごいですよ〜!何のお酒使ってるかまで当てちゃうなんてぇ」
    「うわぁ…やばい、俺コレ好きかも」
    と、二個目三個目と手を伸ばす。
    (えへへ〜!!大成功だよぅ、弓ちゃん!!ありがとぉ!!)
    タカマガハラに残っている友人(*一方通行)に心から感謝する。
    「うわぁ!見てください、大聖サマ!花火があんなに近いです!」
    「ハハッ、ホントだ。タマヤの奴、また腕を上げたなぁ」
    「大聖サマ、あっち。十五夜の満月ですぅ」
    「うん。今年も綺麗だな…まるで兄上そのものだ…」
    月光に照らされたスサノヲの横顔に、幽神は思わず見惚れてしまう。
    あの時もそうだった。
    二人でヤマタノオロチに挑んだあの時も。
    自分から一緒に戦うと言っておきながら、その姿に見惚れずにはいられなかった。
    燃えるような真紅の鎧に身を包み、八つの武器に変形する八握剣を操り、次々と
    オロチの首を落とすさまは、まるで舞いを見ているようだった。
    雄々しく、猛々しい生命力溢れる男神の中の男神。
    惹かれずにはいられない、絶対的な魅力をもつ存在。
    好きだった。ずっと、ずっと…!
    視線に気づき、幽神を振り返る大聖。
    「…?どしたの、幽ちゃん」
    優しい笑顔、優しい声。
    もう我慢ができなかった。

    「…好きです、大聖さま」

    気持ちが溢れて、止まらなくて、涙となって零れ落ちた。
    大聖の表情が、ゆっくりと驚きへと変わった。
    「…ずっと、ずっと…好きでした…あ、あれ…?」
    言いながら、ポロポロと零れる涙を止められないのか、必死に涙をぬぐう。
    「やだ…止まらな…」
    笑おうとして、ますます止まらない涙に、幽神は子供のように泣き出した。
    「…好き…大好き…!ずっと、ずっと好きだった!でも…でもダメ…ダメなんです…!」
    顔を両手で覆い、嫌々するように首を振る。
    「三貴子の大聖サマとただの筆神のあたしじゃ同じ時間は生きられないから…!
    どんなに好きでも、どんなに一緒に居たくても…あたしじゃダメなんです…
    あたしじゃ、大聖サマの背中、守ってあげられない…!!」
    三貴子は創生二神であるイザナギ神自身から生まれ、太陽・月・大地そのものである
    彼らの寿命はほぼ無限。
    それに対して、三貴子の理の中で生まれた他の神々には世代交代、つまり力の衰え、死が存在する。
    咲いた花がいづれは枯れ、土に返り、また新たな命の礎となるように。
    役目を終えた神々は大自然に一部になり、生命の円環に加わる。
    現にすでに二柱の筆神が死を迎えている。
    「うっ…ううっ…」
    むせび泣く幽神に、スサノヲはゆっくりと両手を差し出し、顔を覆っていた手を退けさせた。
    「…大聖、サマ…」
    なおも溢るる涙をそのままに、自分を見上げる、子供のようにあどけないまっすぐな瞳。
    スサノヲはそのまま両手で幽神の両頬を覆い、優しく撫でる。
    撫でながら、ここのところずっと確信がもてなかったものにピントが合っていくのを感じた。
    ようやく納得できたスサノヲは、その想いの行き先に微笑みかけた。
    そして自分からゆっくりと顔を近づけ、その唇に自分の唇を重ねた。
    「…」
    一瞬何が起こったのか分からない幽神だが、確かに感じる温もりにゆっくりと目を閉じた。
    一秒だったのか、一分だったのか。
    スサノヲはゆっくりと唇を離し、もう一度幽神を優しく見つめた。
    幽神は、どんな言葉が己を縛るか不安そうにスサノヲを見つ返す。
    「…俺が、幽ちゃんを好きでも…ダメ?」
    「……え?」
    今度は幽神が驚く。
    「俺…きっと幽ちゃんの事が好きなんだ…友達とか、そんなのじゃなくて…。
    普通に、一人の女の子として…幽ちゃんの事が好きなんだ」
    その言葉に、再び幽神の目に涙が浮かぶ。
    「…いいんですか…?あたし、大聖サマのこと、好きでいいんですか…?」
    「うん。これから、ずっと、ずっと俺のことを好きでいて。
    同じ分だけ、俺も幽ちゃんのこと、好きでいるから」
    「…はい…!!」
    涙をぬぐうこともせず、そのままスサノヲに抱きつく幽神。
    スサノヲはその柔らかい身体をしっかりと抱きしめ、髪に優しく口付けした。
    そして改めて実感した。
    「これが愛おしいということなのだ」、と。

    そんな中、かつての姉を思い出す。

    「お前には、お前の鞘が見つかるはずです。
    私と、ウシワカが…互いが互いの鞘であるように。
    お前にも鞘があり、お前もまた、誰かの鞘であることを忘れないで。
    愛することを、愛されることを忘れないで。
    そしてどうか…愛されることを、恐れないで」

    そう説いた姉は弟の自分ですら知らないような、幸せそうな笑顔だった。
    聞いた当時は、その言葉の意味がまったく理解できないでいた。
    愛し愛されるとは、一体どういうことなのだろう?
    一柱の神としてではなく、ただ一人の男として存在するとは、一体どういうことなのだろう?

    やっと分かった。
    自分の心の在り処が。
    やっと解った。
    誰かに愛され、愛するということ。

    こんなにも満たされ、穏やかにもなれるのか。

    そんなスサノヲの瞳にも、星のように輝く涙が浮かんでいた。
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