大神異見聞録・本編
潤恵ノ世の章「大神桜花祭」
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西安京。
ナカツクニ一繁栄を誇るこの都だが、二度の災厄に見舞われ、希代の女王ヒミコと、その側近であり摂政でもあった尼僧ツヅラオを失った。
だが逞しい西安京の人々は災厄から立ち直り、街を復興させつつあった。
「さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!看板女優にして祈祷の舞姫・カグラの舞が見れるのは歌舞伎座だけだよ!」
歌舞伎座の前では呼び込みの男が声を張り上げている。
そこへ黒髪の美少女がひょっこりて顔を覗かせる。
零れそうなほどに花びらをあしらった簪が揺れ、涼やかな鈴の音が鳴り響く。
長い黒髪は左右対称にパッツリと切られ、凛々しい眉が覗いている。
歌舞伎屋の看板女優・カグラだ。
「どう、お客さんの入りは」
「上々ですよ、お嬢。今日も満員御礼でさぁ!」
「まぁ当然よね。あたしが看板女優しょってるうちは…」
ふふんと得意げに語る黒髪の少女カグラとアマテラスたちがふと目が合う。
「…ダサクマ、に…クロウ…?!」
わずかに頬を紅潮させ、目に涙を浮かべたかと思うと、ウシワカに向かって突進してきた。
「…この、馬鹿ーーーーーーーッ!!!!」
雄叫びと共に見事な跳躍力で、ウシワカの顔面に飛び蹴りをぶちかましたのであった。
「…ごめんなさい…」
「うん、出会い頭にこんな見事な飛び蹴りを喰らったのはミーも初めてだね…それにしてもすごいね、巫女の力っていうのは」
楽屋でカグラの治療を受けながらウシワカが感心する。
カグラが両手をウシワカの負傷した部分にかざすと、みるみるうちに傷痕が治ってゆく。
「こんな力があるのに、女王候補の話を断ったんだってね」
「だってあたしはカグラ。この歌舞伎座の看板女優だもの!それにヒミコさまの遠縁の子が巫女としての能力を開花させたんだもの。
あたしの出る幕じゃないわ」
今ではヒミコの後を継いで、女王の座についているのはイヨという名の娘で、ヒミコと同じヤマタイ一族の出身。
正当な女王候補として申し分ないはずだったが、長年その才能が開花せずにいた。
カグラと同じく巫女の修業を積んだことにより、ヒミコと同格、あるいはそれ以上の能力に目覚めたのである。
「…それにしても、あなたがあの陰特隊の元隊長さんとはね…」
それからアマテラスを見て少し緊張したように呟く。
「…ダサクマ…いえ、大神さまにまで会えるとは思ってもみなかったわ」
『ダサクマ』という言葉に、ウシワカどころかアマテラスまでも吹き出す。
それを見てカグラの顔がこれ以上にないほど紅く染め上げる。
「あっ、あの時はその紅隈が太陽紋だなんて知らなくて…!『ダサクマ』なんて言っちゃってごめんなさい!」
畏まるカグラにアマテラスは「いいのよ」と微笑んでみせる。
「…今日は、ダサ…チビとクロウはいないんですか?」
「…うん。今日は私たちだけ。ごめんなさい」
「…そう、ですか」
しょぼくれるカグラの後ろから黒子姿の男がこちらの様子を伺うように顔を覗かせる。
「お嬢!そろそろ開演ですぜ」
「…分かったわ。すぐ行くから」
「へい」
黒子を下がらせるとカグラは二人に向き合った。
「ホントなら見て行って欲しいけど…ヒミコ様のお墓参りに来たんでしょ」
「…うん。何も言わずに帰っちゃったからね」
「お墓参りが終わったら、また天の国に帰るの?」
「え?あ、うん…そうだけど」
突っ掛かるような勢いのカグラにたじろぐウシワカ。
「…だったら、クロウとダサクマに伝えて。『西安京一の売れっ子の舞台見ないで帰るなんてアンタたち相当損してるわよ!
一等席を空けておいてあげるんだからとっとと遊びにいらっしゃい!』ってね」
そこまでまくしたてると可愛くウィンクしてみせる。
ウシワカは一瞬あっけにとられ、ひとしきり豪快に笑ってみせると「オーケィ、オーケィ!間違いなく伝えるよ!」と微笑んだ。
その笑みにかつての友の面影をみたのか、カグラは息を飲んだが、黒子の「お嬢!」という声にハッとなり、「それじゃあ!」と
手を振り控室を飛び出して行った。
アマテラスとウシワカも、座長たちに挨拶をして歌舞伎座を後にした。
目指すは貴族街の最深、女王の居城だ。
からくり大橋を越え、ツヅラオが摂政として構えていた庵を抜けると、思わず溜め息を漏らさずにはいられない、美しい神殿が姿を現す。
朱と白を基調にした本殿と宝物庫と書庫に別れた巨大な建造物だが、決して華美ではなく、厳格でどこか神聖さを醸し出している建物だ。
入口には衛兵が二人立っており、アマテラスたちの行く手を遮る。
「ここより女王イヨさまの座する本殿である」
「許可なき者をおいそれと通すわけにはゆかぬ。お取り引き願おうか」
「それには及びません」
薙刀を交差させ通せん坊する男たちの後ろからまろやかな声が飛び出した。
長い黒髪を高く結い上げ、頭から薄衣で顔を隠した女ー声の雰囲気からしてカグラと同い年の十五、六歳か。
かつての女王ヒミコが纏っていた鮮やかな青い衣に白を基調とした着物を来た少女が凜と立っていた。
「い、イヨさま!」
「しかし…」
「無礼者!目の前の方をどなたと存じるのですか。目の前におわすこの方こそ、我らが慈母・アマテラス大神さまなのですよ」
イヨと呼ばれた少女の言葉に衛兵たちは一瞬言葉を失うが、慌てて片膝をついて深く敬礼する。
「も、申し訳ございません…!」
「かの大神さまとは存じず、ご無礼をお許しくださいませ」
衛兵たちの間に立ち、イヨも深く頭を下げる。
「部下の者たちがご無礼いたしました、我らが慈母・アマテラス大神さま。そして陰特隊・前任隊長ウシワカ殿。
お二人をお待ち申しておりました」
「…前任?もしかして陰特隊は存在してるのかい?」
驚くウシワカにイヨはにっこりと微笑んでみせる。
「はい。私の即位と同時にかつての隊員たちを呼び集め再結成いたしました」
「じゃあミーの代わりに隊長を務めているのは…」
「はい、かつての貴方の部下であったアベノ隊員でございます」
懐かしい名前にウシワカの顔が綻び、誰にとなく「…そうか…アベノくんが…」と呟く。
「あいにくアベノ隊長は任務中でお会いすることはできませんが…」
「…いや。今日は別の用件で来たから」
「…先代女王ヒミコさまのお墓参りですね」
イヨの言葉に、ウシワカっアマテラスは頷く。
「了解しました」
と短く答えると、皆に道を開けるよう目配せをした。
「…場所はご存知ですよね。ごゆるりと」
そう言い、再び深々と頭を下げ、イヨは神殿へと戻っていった。
ウシワカとアマテラスは神殿の裏手に回り、その湖に建立された石碑を臨んだ。
「…」
「…」
ウシワカもアマテラスも、何も言わなかった。
二人で、ただただ石碑を見つめていた。
どのくらい二人でそうしていただろう。
ぼんやりと、ウシワカが呟いた。
「…ヒミコ…」
それ以上は何も言わなかった。
おそらくらウシワカの中でヒミコと、そしてツヅラオと過ごした日々が、走馬灯のように駆け巡っていることだろう。
ウシワカはツヅラオに手向けたものと同じ白百合をヒミコの石碑に捧げた。
「…どうしてかな。ミーはきっと大泣きするんだろうと思っていたんだけど…いざこうやって墓前に立つと、涙一つ零れやしない」
ハハハッと自嘲気味にウシワカは笑う。
ヒミコの最期を看取り、当時ヒミコに仕えていた侍女らと共にこの石碑を建立したのはウシワカ自身だった。
「…ヒミコはミーを恨んでるだろうね…歴史の捨て駒にした、このミーを」
その言葉に呼応するかのように、ザーッと雨が降る。
まるでウシワカのことを狙い撃ちしたかのように、ウシワカの頭上にだけ雨が降り注ぐ。
(まったく…そなたはいくつになってもたわけよのぅ。わらわがそなたに恨み事?あるぞよ!
あの日結局そなたは髪を切らせてはくれなかったでおじゃる)
雨とともに降り注ぐ声にウシワカは呆然と天を仰いだ。
「…ヒ、ミコ…?」
ふと、かつての女王の幻影が微笑んだ気がした。
(鬘は作れなんだが…そなたはこの鳥居から西安京のすべてを見せてくれた…なんと美しき都かと心打たれた。
例えこの命捧げてでも守るに値する世界だと、わらわはあの日決めたでおじゃる)
アマテラスとウシワカの目の前には、今やくっきりと先代女王ヒミコの姿が浮かび上がっていた。
「…ヒミコ」
情けない声を上げるウシワカにかつての女王はほぅ、と溜め息をつく。
(情けない声を出しおってからに…こうなったら散髪どころか剃髪決定でおじゃるな)
(まったくですな)
くすくすと笑いながら、ヒミコの隣に美貌の尼僧ツヅラオまでもが姿を現す。
「…シスター・ツヅラオ!」
(天下の陰特隊隊長がそのような情けない様では我らは心配で心配でおちおち成仏もしておれません)
よよよ…と着物の裾で目尻を拭う仕種をするツヅラオ。ヒミコもそれに習い涙を誘う。
「…その手には乗らないよ。何度見飽きたか分からないならね」
一瞬ちらりとこちらの様子を伺った二人だが、面白くて仕方ないというふうにくっくっと喉を鳴らす。
「…ありがとう、ここに来て正解だったよ」
微笑むウシワカに、ヒミコとツヅラオも優しく微笑み返す。
先ほどのような小ばかにした笑みではない。
慈愛にみちた、優しい笑みだった。
(…おぬしは勘違いしておじゃるようだがの。我ら二人、後悔も恨み言なぞ何一つないぞ?)
(むしろ、我らが礎になれたことで、この西安京を、この国の危機を救えたことに誇りを持っておりまする)
(じゃからな)
(ですから)
((間違っても自分を責めないで。私たちが自分の生き様を誇りに思うように。貴方は貴方の道を信じて突き進めばいい))
それはかつての約束。
ウシワカの予言を知ったヒミコとツヅラオは一瞬驚きはしたものの、その言葉を受け入れ、三人でそう誓ったのだった。
懐かしい言葉に、ウシワカの頬に一筋の雫が伝い落ちた。
(我らが慈母アマテラス大神よ。この僅かな時間を我らに与えたもうた僥倖。忝なく存じ上げまする)
ヒミコの言葉に、アマテラスは優しく頷く。
見ればアマテラスの手にある勾玉・生玉がまばゆい光を放っている。
筆しらべ『恵雨』で二人の魂を召喚し、生玉の力で魂をこの場に止まらせておいたのだ。
(さて…女々しいどこぞのスチャラカな男に言いたいことは言えたしの)
(そうですね)
ヒミコとツヅラオが顔を見合わせると、その身体がゆっくりと天へと帰ってゆく。
(一足先に、来るべき場所にて待っておじゃるぞ)
(その時こそその髪、刈らせていただきます故、お覚悟を)
くすくすと笑いながら昇ってゆく二人に後悔や未練は微塵も感じられない。
穏やかな光に抱かれて、やがて二人の姿は消えた。
「ウシワカ…あっ…」
二人が消えた空をしばらく見つめていたウシワカが、ふと後ろからアマテラスを抱きしめた。
「…ウシワカ…」
「…ごめん…少し、このままでいさせて…」
「…はい…」
気を取り直したウシワカとアマテラスは旅の最終目的地である神木村を目指した。
両島原ではハヤテと、神州平原ではイダテンにかけっこ競争を挑まれたが、カイポクお墨付きの駿足で二人を破ってみせた。
タマヤの家によれば、アマテラスとの再会を祝して記念の特製花火を作ると息巻いた。
二日かけて神州平原を横断した二人はようやく神木村の入口へとたどり着いた。
「…いつ来てもいい場所だね」
「ええ…とても優しい気持ちにしてくれる、温かな場所…」
二人が立っているのは村の入口ちある桜並木。
はらはらと桜吹雪を散らしながらも、枯れることを知らない、コノハナサクヤ姫の加護篤い土地だ。
二人は黙って手を繋いで桜並木をくぐり、村へと至る。
優しい花風が二人を迎えた。
何年経っても変わらない、どこまでも素朴で敬謙な人々たち。
そして絶えることない信仰心がアマテラスの身体を充たす。
と。
アマテラスとウシワカのそばに、いつのまにか一人の少年が立っていた。
ふと、アマテラスと少年の目が合う。
「…クマ、公…?」
「タケル?どうしたのー?」
遠くから少年を呼ぶ女の声がする。
母親だろうと顔を上げると、そこには酒職人のクシナダがいた。
「…あら…?あなた、もしかして…シロちゃん?シロちゃんなの?」
驚く母親にタケルと呼ばれた少年も驚く。
「母上にもクマ公の紅隈が見えるのか?」
「ええ、ハッキリ見えるわ…それにしても。女の人に向かって『クマ公』はヒドイと思うわ」
クシナダに窘められ、は少し照れ臭そうに頬を赤らめる。
「…えと、じゃあ…」
目の前の佳人ににっこりと微笑まれ、ますます畏縮してしまう。
「ポチ?ポチではないか!」
父スサノオが雄叫びを上げながらドタドタと走ってくる。
「…母上、父上はああ言ってますが…」
「もぉ…駄目ね、あの人ったら」
深く溜め息をつくクシナダにアマテラスとウシワカは笑ってみせた。
二人が村を訪れたことは、たちまち村中に知れ渡った。
ミカン爺の意向で急遽、祭が開催されることになった。
「大神さまのおいでにコノハナ様もお喜びじゃろうて…今日は【大神桜花祭】じゃ!
皆、酒を開けよ!食料を出せ!大神さまとその想い人をもてなそうぞ!」
村人たちが祭の準備に右往左往している間に、アマテラスとウシワカはサクヤの元を訪れていた。
花吹雪が強まり、人型を取ったと思うと、桃色の光が優しく弾け、御神木の精・コノハナサクヤ姫が姿を現す。
(おお、我らが慈母アマテラス大神…!まばゆくも美しいそのお姿…!お会いできたことこそ僥倖。このサクヤ、至極光栄に存じ上げます)
「…ありがとう。ずっとこの村を、この国を守っていてくれて」
(それこそ慈母の光明あってこそ。太陽の恵みなくして我らは根付くことはできません)
微笑むサクヤが、ウシワカの存在に気づく。
(まぁウシワカ殿まで…うふふ。貴方が私の木の上で笛を奏でていたのが、まるで昨日のことのよう。
…願い事は叶いましたか…?)
「…まぁね。見ての通りだよ」
笑うサクヤに少し照れ臭そうなウシワカ。
(…長かったですね…)
「…あぁ。長かったよ」
改めて、ウシワカはアマテラスの手を握りしめる。
しばらくこの百年を噛み締める三人だったが、ふとサクヤがもぞもぞと身をよじる。
(…ん?…うふふ…あははははは!これは何事?急にこそばゆく…おほほほほ…!)
身をくねらせるサクヤの胸元から緑色の光が飛び出してくる。
「お…オイラとしたことがすっかり寝過ごしちまったぜぇ!」
(これ、玉虫!また私の胸元で昼寝をしていましたね!天道太子の役割はどうしたのですか)
「うるせぃやい!西へ東へ駆け回って布教しまくってんでぃ!少しは休ませろってんでい…ん?」
「おや、ゴムマリくんじゃないか」
目が合い、改めて相手を認識し光の玉ーイッスンが怒りをあらわにピョコピョコと慌ただしく跳びはねる。
「てててて、テメェ!このインチキ野郎!なんでテメェがここに居るんだよぉ!!」
「いや、それはこっちのセリフだよ。ユーこそどうしてこんな所に?」
「先にこっちの質問に答えろぃ、この…!」
いいかけて、隣に居る絶世の美姫に気づき、イッスンは口をぽかーんと開ける。
「…おっ…お前…。……アマ公…?アマ公なのか?」
問われ、懐かしさに気持ちの高ぶりが止められないアマテラス。
手を差し出し、その両手にイッスンを乗せると優しく微笑んだ…つもりだった。
口元が歪み、大きな紅玉の瞳からポロポロと涙が零れた。
「お…おぃおい!いきなり泣き出す奴があるかぃ!なんだよ、オイラが泣かしちまってるみたいじゃないかよ!」
それでも嗚咽を漏らすアマテラスに、イッスンはすっかり困り果てる。
「あーもー!いつまで泣いてんでぃ!お前はいーっつもポァッとしててなーんにも考えずにポカポカにこにこ笑ってりゃあいいんだよ!
何のためにオイラが全国行脚して天道太子の役目果たしてると思ってんだ!」
手の上で息巻くかつての相棒にアマテラスはようやく泣き止み、「…そうね」と笑ってみせる。
「…そうだよ!そうそう!せっかくの美人が台なしだぜぇ!」
そう自分もニカッと歯を見せて笑うイッスンだが、あることにようやく気づく。
「…あれぇ?アマ公…お前…女だったのかぁ?」
驚愕するイッスンにサクヤとウシワカが声を上げて笑う。
その後ろで怒デカイ花火が数発上がる。
(タマヤの花火ですね…宴の用意が整ったのでしょう)
「なんでぃ、なんでぃ!祭か!?祭と聞いちゃあこの旅絵師イッスン様の筆が黙っちゃいねぇぜ!」
「行こうか、アマテラスくん。ミーたちのためのパーティーだ!」
「ええ!ありがとう、サクヤ」
(はい。では今宵は私も趣に酔わせていただきますわ)
イッスンを肩に乗せ、ウシワカと手を繋ぎ、村の中央へ降りると、村人だけでなく、様々な人々が三人を迎えてくれた。
どこからともなく楽曲が奏でられ宴が始まった。
「さぁ、シロちゃん、ウシワカさん。私のとっておきのお酒よ。あとミカンおばあちゃんの桜餅。シロちゃんの大好物よね?」
首をしきりに縦に降ってアマテラスは答える。
「それでは皆、酒を持ったか?…それでは乾杯!」
ミカン爺の合図に各々が乾杯の声を上げる。
ウシワカと、イッスンと軽く盃を交わしアマテラスは一口酒をすする。
「あっ!大神さまだ!大神さまだよ、おねーちゃん!」
「ちょ、ちょっと!待ちなさいよ、ツバキ!」
姉の声も聞かず、ツバキと呼ばれた少女はアマテラスに駆け寄る。
「えへっ…大神さま!あたしだよ、ツバキだよ!…覚えてる?」
かつて西安京でアマテラスの紅隈に気づき、何とか姉にも気づいて貰おうと必死だった少女を思い出す。
「ええ、覚えてるわ…あの時はありがとう」
「…えへへ!よかった、覚えてもらえてて」
遅れて姉のサザンカがやってくる。
「ハァ、ハァ…!待ってって…言ってるのに」
「ほらよぉ!水でも飲んで落ち着けよ」
サザンカに水をやり、一息つかせる。
「…ふぅ…ホントにこの子ったら落ち着きないんだから」
「だってあの時の大神さまだよ!大神さまが戻ってきてくれたんだよ」
妹は以前会った真っ白な狼が人の姿を成していることにまったく疑問を感じないらしい。
「…信じられないわ…貴女が本当に…あの時の狼なの…?」
アマテラスは笑顔で肯定する。
「…聞くまでもないわね…その紅隈が何よりの証だものね」
笑いながら盃を差し出し乾杯する。
タマヤの花火を聞き付けて各地から人々が集まり大宴会となる。
アマテラスはその様子を見つめ、胸がいっぱいになる。
「…すごいね…君の歩いた道程が、色んな人を繋いだんだ」
「いいえ…あの日…イッスンが、皆の祈りを一つにしてくれたんです」
「よ…よせやぃ!オイラはただ天道太子の役割を果たしただけでい!」
ピョコピョコ跳ねながらやや照れ気味なイッスン。
「金玉虫の絵なら我が家の家宝にして掛け軸に飾っておるぞ」
「ええ。皆で毎朝毎晩『いつもありがとう』ってお参りしてるものね、タケル?」
スサノオとその家族たちがうんうんと嬉しそうに頷く。
アマテラスは嬉しさと愛しさでいっぱいになった。
人間は時に過ちを犯す。
そして同胞であるはずの人を傷つけ、自然を穢し驕る。
だが、それだけが人間ではない。
こうやって、世界と、隣人とともにある喜びと希望に溢れている。
そんな人間という存在が、アマテラスにはこの上なく愛おしい。
「…ウシワカ」
「ん?」
「…この世界は、とても美しいですね」
「…うん。君が守った、ビューティフルな世界だよ」
「…私、歌います。笛をお願いできますか?」
「ザッツライト!おまかせあれ!」
すくっと立ち上がったアマテラスに皆が注目する。
すぅ…と息を吸い、妙なる歌声が紡がれる。
アマテラスの歌声に合わせてウシワカの笛が鳴り響く。
最初は聞き惚れていた人々だが、誰かが箏を出し、太鼓を出しといよいよ本格的になってきた。
手拍子を叩く者、踊りだす者、一緒に歌い出す者。
初めて聞く歌のはずなのに、どこか懐かしい。
「…祝福を!」
そう締めくくられ、宴は拍手と完成に溢れた。
気がつけば夕暮れが深まり、夜が訪れようとしていた。
「…そろそろだね」
「…うん」
ウシワカの言葉に、アマテラスは名残惜しげに村を見回す。
「…大神さま、もう帰っちゃうの?」
ツバキがさみしげな声を上げる。
皆アマテラスとウシワカを見つめ、残念そうな、あるいは祭を楽しめただけでも満足だという、様々な感情の瞳たち。
だが皆知っていた。
これは別れではない。
明日も太陽は昇る。
そして世界をあまねく照らし、自分たちを見守ってくれる。
だからさよならは言わない。
「大神さま、また遊びにきてね!待ってるから!」
「わ、私、今度は何か美味しい物作ってくるわ!」
とサザンカ・ツバキ姉妹。
「大神さまの歌声、この老体に確かに刻まれましたぞ!またいつでもおいでくださいませ」
「大神さまの大好きな桜餅、今度はもっと沢山作っておきますからね」とミカン爺とミカン婆。
「クマ公!次に来たときはまた神州平原で遊ぼうな!」
「ポチ!また我と妖怪どもを懲らしめてやろうぞ!」
「もう、二人とも!シロちゃんは女の子なのよ!もっと可愛い呼び方してあげて?
ごめんなさいね、シロちゃん…あら、シロちゃんなんて失礼よね」
夫と息子を窘めるクシナダも、ふと首を傾げる。
それらすべてを、アマテラスはうっとりするような優しい笑みで受ける。
「…みんな、今日は本当にありがとう。きっとまた、遊びに来ますね」
誰もが笑顔でうんうんと頷いた。
そこへサクヤが姿を現す。
(慈母アマテラス様、ウシワカどの。準備はよろしいですか?)
「ミーはいつでもOKだよ」
「…はい、私も」
『…では我が花道にてお二人をお送り致しましょう…いざ!』
サクヤが優雅に両手を広げたかと思うと、花吹雪がアマテラスとウシワカを包む。
「またね、シロちゃん!」
「約束だぞ、クマ公!」
「待ってるからね、大神さま!」
皆口々に叫ぶが、誰一人として別れの言葉を口にするものはいなかった。
だからアマテラスも笑顔で応える。
「皆ありがとう!必ずまた来るわ!!」
そうして花びらに包まれアマテラスとウシワカの姿が消えた。
「…帰っちゃったわね…大神さま」
『…あら?玉虫は何処に?』
「…ゴムマリくんてばったらホントにしつこいなぁ!空気読みなよ!」
「ヘッヘッヘッ!生憎とオイラは一度付いたらなかなか離れないんでね!タカマガハラまでひとっ飛びぃ!」
「うふふ、イッスンたら」
「笑ってる場合じゃないよ、アマテラスくん!…もぉ!」
…続きは次の、お楽しみ。
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