第一話「旅の始まりは」

森はどこまでも緑々としていた。 そして新緑のように清々しく、100年苔むしたような深い、独特な香木のような香りがする。
薄い霧が煙り、ランタンのような灯がいくつも燈っている。
ふわふわと浮遊している灯はランタンではなく、光の精霊ウィル・オー・ウィスプだ。
ハイリンの道案内をしていくれてるのだろう。
「ありがとうえ。みんなともしばしのお別れでありんす」
いくつかの光がハイリンの元に集まり、嫌々するようにハイリンについていこうとした。
「あれあれ…困りんしたねぇ…魔物除けの光の魔法はもうかけてもらったというに」
それを聞くといつくかの光が諦めたように離れていったが、それでも嫌々とくっつていくる光を
一つ引き寄せハイリンは精霊語でそっと囁いた。
「ライファン。ウェンロウディハイズー」
それを聞いた光が嬉しそうに一際大きな光を放ちハイリンの肩にかかった荷袋に吸い込まれていった。
ハイリンはどうしても一緒に行きたいと駄々をこねるウィル・オー・ウィスプに、
何かあったときの為に自分を守ってほしいとお願いして、そっと荷袋の中に忍ばせることにしたのだ。
水彩画のように滲んでいた森の風景が少し明るくなってきた。
葉の色は翡翠、そしてエメラルド色にかわり、色彩もステンドグラスのように鮮やかになってくる。
結界の境界が近い。
ハイリンは胸の鼓動が高鳴るのを止められずにいた。
無意識のうちに手を伸ばし、結界の外へと身を躍らせる。


結界を抜けると空気が変わった。


結界の内部ではいつも森の木々の匂いや果実の匂い、水の匂いがしていたが、どの匂いとも違う。
青々として草原の匂い。そして…何か獣の匂い?
見上げると太陽が高い。昼前だろうか。
ハイリンが目をパチパチさせて空を見上げていると、「すまねぇ、姉ちゃん。ちょいと避けてくんねぇか」と、
何やら大きな影が落ちてきた。
「ほぇ」
我ながら間抜けな声が出たと思った。
慌てて避けながら、ハイリンは今度こそ驚いた。
パカラッパカラッとのんびりと風変りな動物が歩いてくる。
耳の飛び出した大人しそうな獣に、信じられないほど大きな箱が繋がっていて、
歩くにつれ、ガタゴト素直にくっついてきているのだ。
箱には黄金色の藁がてんこ盛りになっているばかりか、前のほうに、さっき声をかけてくれた老人が煙草をふかしている。
ハイリンがポカーンと口を開けて見ていると、「ほい、ごきげんよう」と不思議そうに被っていた帽子をちょっと外して挨拶してくれた。
所謂馬の引く荷車なのだが、ハイリンにそんな事がわかるはずもない。
精霊の森には馬もいないし、ましてや車輪の技術などなかったのだ。
と、ゆっくりと荷車が止まった。
「うん?アンタ、ズゥフかい?」
荷車に乗っていた老人がふとハイリンの長い耳に気が付いた。
「あ、あい。精霊の森から出て来たばかりでありんす…」
「んーーーー??コスカタあたりの訛りかね?まぁなんでもええわい。アンタ、これから何処行くんだい。
方向が一緒なら載せてやるよ?ここから次の村まではちぃーとあるからな」
「ほ、本当でありんすか?じゃあお言葉に甘えんす!」
「ほな爺の隣でよければこっちに座んな」
にこにこと優しそうな老人の隣の席が空いている。ハイリンはそこに座らせてもらうことにした。
「う…わぁ…!」
長身のハイリンとそう変わらない視線だが、荷車に揺られる初めての感覚。
がったんごっとんと、不思議な音、不思議な振動だ。
「これが…荷車…」
「なんだ。お前さん、本当に森から出てきたばかりかい?」
「あい。これから『原初の詩』を探して世界中を旅しんす」
「『原初の詩』ァ?あの『始まりの詩』ってやつかい?
ありゃあ女神さま方が封印しちまったって話じゃないかい」
「だからこそ、でありんすよ」
それ以上は何も言わず、ハイリンはにっこりと微笑んで見せる。
老人も「変わった姉ちゃんもいるもんだな」と呟いたあとは何も言わず、手綱を握り前方を見つめるのだった。
ピーヒョロロ…と空の高いところで知らない鳥が鳴いている。
その鳥のものなのか、空からひらひらと羽が舞い落ちてきた。
それをハイリンはうまくつかみ取ると、まずは匂いを嗅いでみる。
嗅いだことのない、温かみのある、野生の匂いだ。
「アカヒドリだな。今からの季節、南の温かい地方に渡って冬を過ごす。
ワシらも農作物を掻き入れて冬を過ごす…しかし、のぅ…」と老人は濁す。
「どうしたんでありんすか?」
「うぅむ…西のエト・トワイス山脈のほうじゃ、ここ何年か春の女神様のご機嫌が悪いのか、
なかなか春が来んらしい…ワシの妹が嫁いだ麓のトト村が不作らしゅうての。難儀なことじゃ」
「春の女神…四姉妹の次女、フィルフレイラ神でありんすね」
「うぅむ…かの女神さまはそりゃあお美しいお方なのじゃが…ちぃとばかし気まぐれじゃて。
おっと、ワシが今話した事ァただの独り言じゃ。トリス様、燃しちゃってくだされ」
そういいながら老人は一つ大きくボフッと煙草を吹く。
老人の言うトリス様とは炎と夏を司る女神で四姉妹神の末子・トリスティア神である。
かのフィルフレイラ神は風も司り、風にのった噂がフィルフレイラ神の元に届いてしまいかねない。
うっかり女神さまの悪口なんて言おうものなら突風吹き荒れる大嵐になるやもしれない。
つまらない愚痴はこっそり妹神さまに燃やしてもらって、なかったことにしてしまおうという魂胆だ。
もちろん、フィルフレイラ神とてそこまで心の狭い女神ではないが、老人なりの冗談なのだろう。
ハイリンもクスッと笑って見せる。
「アンタ、原初の詩を探すと言っていたがアテはあるのかい?」
「アテ…?アテでありんすか…」
うーーーーーーんと唸ったのは今度はハイリンのほうだった。
「まさかアンタ行く当てもないのに原初の詩を探すのかい?」
「あい」
「…そりゃあ長旅になるなぁ」とぼやき、老人は大きく息を吐いた。
「元より長旅のつもりでありんす。わっちは世界中を旅して『原初の詩』にたどり着きたいのでありんす」
「世界中?そいつぁすごいなぁ」
老人は莞爾として馬車を進めた。まさか女一人旅で世界を旅できるとは思っておらず、
孫の夢話に付き合ってやっている感覚で笑っているのだった。

老人の村ーリーデン村は人口約200人ほどの村で、ちょうど稲の刈り取りを終えたところだった。
ハイリンはまず、子どもの多さに驚いた。
10人以上の子どもが村を走り回り、または家事を手伝い、村の至る所ではしゃぎ声を上げたり泣いたりしている姿に圧倒された。
それもそうだ。
ハイリンがいた精霊の森ではハイリンが最年少で、自分より年の若い姿の者など見たことがなく、
「子ども」という概念がまったくなかったのだ。
「…あの小さな生き物は何でありんしょう?」
「あん?子どものことかい?」
「な、何故人間をあんなに小さくしてしまったのでありんすか?」
「はははっ、小さくしたんじゃねぇよ。赤ん坊があんだけデカくなって、今からまたデカくなって、
アンタみたいに大人になっていくんだよ」
「ほあー…人間とは面白い生き物でありんすね…」
「安心しろい。アンタも最初はあのチビよっか小さかったハズだぜ」
「うーーーーーーーーーーーん…記憶にございんせん…」
事実、長老に育てられたのだからハイリンにも幼少期があったのだが、それを「子ども」として認識していないのがハイリンだった。
リーデン村で『原初の詩』について色々と聞きまわってみたが、どの村人も最初の老人と似たような反応だった。
『原初の詩』はその強大する力により、女神たちが封印してしまったのだと。
これ以上の収穫は得られないと判断したハイリンは、ちょうど隣の商業都市へ行く馬車があるというので、また相乗りをお願いすることにした。
本当は歩いて行きたかったのだが、歩いて一日ほどかかるという。
いくらハイリンが精霊の森から出てきたズゥフで、精霊魔法に長けているとはいえ、
女一人で危険だとリーデン村の女性たちに止められたのだ。

四女神たちしろしめす詩魔法に包まれた異世界クラ・フ・ファーゼでは、
詠唱魔法と詩魔法が存在する。

詠唱魔法は通常、術者が精霊と契約し、呪文を詠唱することで発動するシンプルな魔法だ。
世界には各女神の神殿があり、そこで魔法を教授してもらい、精霊と契約することで精霊魔法を習得できる。
特定の呪文を必要とせず、大抵は簡単な動詞で発動する。
例えば「(風が)吹き荒れろ!」「(炎が)燃えろ!」等々。
初歩の初歩的な簡単な魔法だと、水生成や炎を起こしたりなどの小規模の魔法が扱えたりする。
ただ、誰にでも扱えるものではなく、ある程度の生まれ持った魔法の素質がなければ
精霊と契約することができない。
修行を積むことで精霊と契約することがほとんどな上、詠唱が複雑なほど威力を増すが、
モンスターとやり合うほどの威力となると詠唱に時間がかかり、
まったくの無防備になってしまうので複数人で行動しなければ発動は難しいだろう。

詩魔法とは謳うことで発動する特殊な魔法である。
誰もが扱えるわけではなく、16才までの「穢れなき声帯」でなければ発動させることは難しいとされている。
こちらは現在研究中で詳細は不明とされているのだが、中でも独唱(ソリスト)と合唱(コーラス)に分かれ、
ソリストは一人でも詩魔法を発動させることができる存在だがあまり威力に期待はできない上に希少とされている存在だ。
逆にコーラスは5人以上が必要だが、人数が増す分、威力も倍増する。
詠唱魔法と詩魔法の違いは何よりその威力であり、女神たちの加護の度合いが違う。
詠唱魔法のほとんどは精霊との契約で成立するが、詩魔法は女神たちと直接契約することで成立する。
ただし、先にも述べたように、詩魔法は16歳までの成人前の子どもに限られている。
16歳を過ぎてしまうと、どんな高位の司祭が契約を執り行おうとも、女神たちと契約することができないのだ。

またハイリンの属するズゥフは謳(オー)という独自の言語で詩を紡ぎ、詩魔法を発動させる。
こちらは精霊の森の樹木から生成された楽器の演奏が必要で、演奏するズゥフの年齢に関係なく、
また時間がかかるがダイナマイトクラスの強大な魔法を紡ぐ。
ハイリンは四大精霊すべてと契約しており、中でも補助・回復魔法が得意だ。
攻撃魔法が不得手ではないが、「謳」の発動には如何せん時間がかかる。
楽器を演奏しながら歌わなければならないのだ。
故にハイリン自身も一人で野営するにはあまり向いていないと判断した。
(なるほど…外の世界では人様の物を奪って金品に替える野党や追剥などがいると聞きんした…
謳の発動に時間がかかるわっちでは、確かに抵抗はあまりできそうにありんせん…)
ガタゴトと幌馬車で揺られながら、ハイリンは一人小さく納得したのだった。
ただ、どうして他人のものを強奪しなければならないのか。
1つあるものを皆に分け与えれば争いなど起きないだろうに。
精霊の森ではずっとそうやって過ごしてきたので、イマイチ危機感に欠けるハイリンだった。
そういえぱ、とハイリンはふと思い出す。
リーデン村でズゥフであることをかなり珍しがられたっけ。
ここへ荷馬車で相乗りさせてくれた老人も「ズゥフなんざ50年も見てなかったのぅ…
絶滅したのかと思うておったわい」とぼやいていた。
100年前の大戦でズゥフの本拠地だったシェンユーセンが燃えてしまってから、
ズゥフの人口そのものが激減してしまった。
その上精霊の森の恵みだけで生活する彼らは森が出る必要もなく、
逆にハイリンのように好奇心旺盛すぎるズゥフのほうが珍しい。
故に大抵のズゥフは森で生き、森で最期を迎え、森へと還る。
それが自然の理であり、この世界と一体となる為のズゥフの憧れとさえされてきた。
森で謳い、精霊とともに生き、自然の恵みに感謝しながら生きる。
精霊の森の恵みは豊潤であったし、足りないものがあれば物々交換して生活していた。
ハイリンの着ている服も、仲間たちが用意してくれたものだった。
森の象徴である、ちょっとくすんだ、保護色にもなる深い緑色のワンピース。
そして少しくらいの雨なら、風の精霊シルフと炎の精霊サラマンダーが防いでくれる上乾かしてくれる灰色の外套。
何日か文の食糧と水と、長老がくれた砂金。
そして相棒の楽器・麗華(リシャン)がハイリンの旅支度一式だった。
あまりにも少ない旅道具に、リーデン村の老人の奥さんが見かねて干し肉とパンを分けてくれた。
(そういえば肉とやらを食べるのは初めてでありんしたな…)
長老に聞いたところによると、外の世界では牛や豚や鳥、鹿などを狩猟して食べるのだという。
そもそも牛や豚たちを間近でみたことがなかったハイリンは荷袋をごそごそ漁ると、干し肉を取り出した。
赤茶黒い、やや硬い物質だ。
まず匂いを嗅いでみる。
知らない匂いだ。ちょっとクセがあって…生臭い?
これは本当に食べても大丈夫なのだろうか?
「なんだい、食べないのかい?リーデン村の干し肉は村の名物の味噌で味付けしたちょっとした名品だよ」
相乗りしていた優男風の青年が笑顔で進めてくれる。
生臭いのが少し気になって干し肉を眺めていたハイリンだが、えいやっと一口かじりついてみる。
外側の硬さに比べて思っていたよりも干し肉そのものは柔らかい。
そしてーハイリンは知らなかったが、味噌のふくよかな風味と甘酸っぱさ、
そして肉の甘味がじゅわっと口いっぱいに広がり、ハイリンの目が輝く。
それを見た青年がはははっと笑い、「美味いだろう?」と人懐っこく語りかけてくる。
ハイリンはうんうんとうなずくのが精いっぱいで、もぐもぐとせわしなく口を動かす。
さほど大きくない一口だっが、口の中で噛めば噛むほど味が染み出てくる。
何度かもぐもぐとしたあと、ごくりと喉をならして飲み込み、ハイリンはふはーーっと大きく息を吐く。
「…これはこれは…なんと美味でありんしょう…!!」
「そうだろうそうだろう。でも食べすぎには気を付けな。
日持ちするけどおやつ替わりに食べてたんじゃ旅の非常食にならないからね」
笑う青年に、ハイリンも危ない危ないと手を引っ込める。
「商業都市リト・エイデスまでは4時間ほどさ。かなり大きな都市だから、
君の探している『原初の詩』についても何かわかればいいね」
「しょうぎょうとし、とは一体どんなところでありんしょう?」
「とにかく人が多い。行商たちが行き来して、西から東へ色んな物資や情報が入ってくる。
リーデンにいるよりはたくさんの物が溢れてるし、仕事もある。僕はその出稼ぎさ」
「なるほど…楽しみでありんすなぁ…」
リーデン村で子どもの多さに驚かされたハイリンだったが、あれよりももっと大きな驚きが待っているのか。
わくわくと期待に胸を膨らませ、荷馬車の後ろでガタゴトとゆられるハイリンの荷物袋に青年が気づく。
「随分と大荷物なんだね。何が入ってるか聞いてもいいかい?」
「あい。こっちは食料や水でありんすが、こちらは麗華(リシャン)といいんす」
「リシャン?」
聞き慣れない言葉に不思議そうにする青年に、ハイリンは実際に袋からリシャンを取り出してみる。
「それは…楽器かい?」
「あい。わっちお手製の、世界にたった一つしかない楽器でありんす」
青年が思わず首を傾げたのは、その「楽器」とやらが青年の知るどれとも形が違っていたからだ。
卵を縦に割ったような形の胴にかなり長い棹がつき、弦が二つしかない。
さながらリュートの形をした二胡、といったところだろうか。
「変わってるね。ズゥフの楽器かい?」
「??いえ、わっちの楽器でございんす」
「え?あ、いや、そうじゃなくて…ズゥフたちの文化というか、独自の楽器というか…」
青年の言わんとしていることが掴みかねてハイリンは首を捻る。
ズゥフには人間のように楽器を量産するという概念がなく、精霊の森の落ち木や幹や葉を拾い、
そこから各々の心のままに木を削り楽器を制作する。
完成した楽器は長老のお目通しを得て祝福を授かる。
そして楽器を演奏しながら皆で歌う。
「詩」の存在が人間よりも身近で生活に溶け込んでいるズゥフならではの風習だ。
「よかったら音色を聞かせてもらっていいかい」
「あい」
短く答えると胡坐をかき、弓を弦に当てルゥ…とラの音を鳴らす。
そこからのどかな旋律が流れ始めた。
馬車の上を、またピーヒョロロと鳥が鳴き渡る。
爽やかな風が幌を吹き抜けていく。
風の精霊たちがハイリンの奏でる音色に引き寄せられているのだ。
音と風の精霊たちの相性は抜群にいい。何故なら音とは空気や物体の振動によって伝わり感じとれるものであり、
我々は常に音の中で暮らしているからだ。空気を揺らし波紋のように広がっていく音に、
風の精霊たちも心地よく揺さぶられるのろだろう。少し魔術に覚えがある者ならば、
ハイリンの周囲に風の魔力が集結していることに気づいたに違いない。

軽やかな旋律を響かせながら幌馬車はガタゴトと揺れ、次の目的地まで旅人を運んでゆくのだった。
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