大神異見聞録・外伝

鏡花水月

  • 残撃が風となって疾る。

    その刃はまさに光速。光の衝撃波。
    ウシワカはその刃を避けきれず、頬に紅が散り、髪が舞い、衣が裂ける。
    「くっ…おぉぉおおおおおおお!!」
    渾身の一手を放つが相手の攻撃はさらに早い。
    暴風のように繰り出される剣撃にウシワカは堪えきれず吹き飛ばされる。
    「ぐあっ…!」
    背中から地面に叩きつけられ、ヒキガエルのようなうめき声が漏れる。
    その間にも相手は迫り、自分に刃を繰り出してくる。
    早く…早く起きなくては…!!

    「そこまで!」

    鋭い声に、あと僅かでウシワカの首に触れようとしていた刃が寸でで止まる。
    ウシワカは自分の喉元につきつけられた刃にゴクリと喉を鳴らす。
    刃を突きつけていた相手は、ゆっくりと、しかし流麗な仕草で刀を引くと、
    鞘ではなく背負っていた琵琶に刀身を治める。仕込み刀だ。

    「また私の勝ちだな、ウシワカ」

    そう見下ろして、やんちゃっぽく微笑むのは、ウシワカと同じ『天翔皇流』の門下生で、兄弟子になる
    菅原道真だ。
    「はぁ…やっぱり叔父上には敵わないなぁ…」
    道真に手を引かれ起き上がるウシワカはため息とともにそう独りごちる。
    「ウシワカは護りに偏りすぎている。得意の二刀流にしてもよかったのに」
    『天翔皇流』開祖であり、先ほど道真の刃を止めたツクヨミが苦笑いしながらそう諭す。
    「…あくまで『天翔皇流』の修行ですから。僕の『流星閃』は叔父に遠く及びません」
    そう言いながら、頬から滲む血を親指で拭い取り舐める。
    「私の『神縮地』は残像でありながら質量を持つ。これをかわせなければ君は一生『神縮地』を会得できないだろうね」
    他の人間が口にしたならば嫌味にしか聞えないのだが、道真が口にすると、不思議と優しく諭されている
    ような気分になる。

    不思議な人だ。

    ウシワカとは遠縁の仲で、二人して王家の分家であったが、ウシワカの実家は分家でも格下とされていた。
    一方道真は王家の一員として名を連ねており、大臣の一人として、またツクヨミに仕える神官として
    ツクヨミのもたらす叡智を書物に書き連ね、三貴子のみが知り得る『創語』研究の第一人者でもある。
    そしてまた『天翔皇流』の第一門下生としてツクヨミに仕えている。
    宮での神務に勤しむあまり妻を娶らず、子も居ない道真は、幼くして母をなくしたウシワカを養子に迎えた。
    ウシワカにとって道真は父であり、兄であり、数少ない理解者だった。

    この、忌まわしい紫の瞳と、直系の王族ですら持ち合わせない、異端の予知能力をもつ自分。
    今となっては、母の3番目の兄である道真と、再従妹(またいとこ)にあたるカグヤぐらいしか
    自分に話しかける人間はいない。

    「君の刃には雑念が多すぎる。もっと心を鎮めてごらん…闇夜を照らす我らが月の光のように。
    水面に映り、静かに揺れる月のように…心を澄ませるのだ。」
    蒼穹のように鮮やかな瞳が優しくウシワカを見つめた。
    差し出された手に引かれて身を起こし、再び刀を構える。
    そしてそぅっと目を閉じ、深く深呼吸しながら、道真の言葉を心に焼き付ける。

    水面に映る月のように。
    静寂に揺らめき、波間に零れ消えてしまいそうな。
    それはまるで…。

    すう…と見開かれたウシワカが地面を蹴った。

    (正面からとは…どんな策を思いついた?)
    弟弟子の、甥の行動に思わず心が躍る道真。
    だが次の瞬間、顔が強張る。
    ウシワカの姿が蜃気楼のように揺らめいたかと思った次の瞬間。
    甥の刃は道真の上半身を捕らえようとしていた。
    激しい金属音と火花が散り、ウシワカと道真の刃が交錯する。
    ギリギリと睨み合う二人だが、ふっと同時に後ろへと飛んだ。
    「今のは…一体何をした、ウシワカ?」
    戦闘態勢のまま、道真が問う。
    ウシワカも同じく、だがこちらは「してやったり」と口元を緩める。
    「…『神縮地』を、一段階速度を上げてみたんです。」
    「一段階、だと?」
    そんなレベルではない。
    残像とは、主に人の視覚で光を見たとき、その光が消えた後もそれまで見ていた光や映像が
    残って見えるような現象のこと。
    今のはまるで、霧や靄、煙霧などでウシワカの姿がぼやけて消えたように見えた。
    「『鏡花水月』、だな」
    ツクヨミの言葉に、二人はほぼ同時に戦闘形態を解いた。
    「例えばそれは儚い泡沫の幻。目には見えるが、手に取ることのできないもの。また、感じ取れても説明できない、
    蜃気楼のようなもの」
    詠うように言葉を紡ぐツクヨミに、道真は今起こったことそのままを言い当てられ、神妙に頷く。
    「…水面に映る月は、時に風に吹かれて波立つと幻のように簡単に砕けてしまいます…
    そんな風に『僕という存在の認識をズラして相手の目をくらませたら』…と思ったんです」
    「…なるほど、ね…」
    (存在の認識をずらす、か…面白いことを考える)
    「…あっ!!そろそろ工房に戻らないと!工房長(マエストロ)にどやされる!」
    そう言いながら、ウシワカは慌てて剣を収め、身支度をする。
    物心ついたときから、与えられた玩具やカラクリを分解しては組み立てる遊びをしていたウシワカは、道真の推薦もあって
    王家直属の工房に技師見習いとして奉公している。
    「申し訳ありません、ツクヨミさま、叔父上!今日はこれで失礼いたします!」
    「ああ、いっておいで」
    深々と頭を下げ脱兎の勢いで走り、あっという間に神殿敷地内から飛び出していく。
    「ふふふ…よほどしごかれているのだな」
    「ええ。センスのいい子で、工房長もあえて厳しく教えているようです。先日も、面白い設計図をみせてくれましたよ」
    「ほぅ…何の設計図だ?」
    「空を飛ぶ鉄の船です。手のひらサイズの玩具を作っていたのですが、将来は人が乗れるような本物の船を作りたいのだとか」
    「そうか…それが実現すれば、月の國とタカマガハラ、そしてナカツクニとの交流が図りやすくなるというもの。
    一度私もその設計図を見てみたいものだな」
    「私から伝えておきましょう」
    微笑む道真だが、その表情はどこか寂しげだ。
    「……本当に…本当に、稀有な才能を持った子です…」
    そう言いながら、道真は自分の左目から薄い膜のようなものを取り外した。
    蒼穹のようにどこまでも澄んだ蒼い瞳。だがその左目はウシワカと同じ紫色だった。
    「私以外にも紫の目を持つ者が生まれるとは…私の場合は生まれすぐに両親がこの人工色彩膜を作ってくれた
    のですが、あの子はそうではなかった…あの子の目は、どんな人工色彩膜も受け付けなかった」
    道真が、生まれた甥のために国中の技師に自分と同じ人工色彩膜を作らせたが、ウシワカの紫水晶のような瞳は
    どんな人工色彩膜でも誤魔化せるものではなかった。
    「…これは、何の徴(しるし)ですか?私はともかく…あの子の運命がどうなるのか…それだけが心配です」
    道真の問いに、月の國の守護神は答えない。
    俯き、ただ一言。
    風にかき消されそうな声で呟いた。

    「……すまない……」

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    某さまに触発されて書いた月の民SSです。
    ウシワカとカグヤは異母兄妹という脳内設定だったのですが、遠縁の従妹ということにしました。
    あんまり血縁誓いと面倒なことになったので急遽変更しました。
    月の國にはカラコンがあったんだね!すっげーや!!!
    月の國の技術力ならコンタクトレンズぐらい作れるよNE★みたいな。
    こんなカンジで少年時代を過ごしてるウシワカです。