大神異見聞録・本文

黎洲ノの章・第壱話「同調」

  • 三貴子たちがこの世界に具現して数ヶ月ー。

    黒き太母・イザナミ神と白き恵父・イザナギ神の戦いの末、陰陽の理は平衡を崩し、ナカツクニは魑魅魍魎どもが跋扈する混沌とした世界になってしまった。
    国土や海、山川草木、火など、この世界を構成する要素は整っていたが、それらは無秩序に存在するだけになり、
    それらを秩序あるものにするためには三貴子による理の楔がナカツクニに打たれなければならなくなった。
    三貴子こそが、創世二神に代わり世界を脈動させるための鍵なのだ。
    そうする前に、まずは大地に蔓延る妖怪たちの粛清が必要だった。
    「妖怪たちはタタリ場と呼ばれる邪の力場から生まれ、各地に羅生門なる根城を建て人々に害を成している。
    私たちの使命はその羅生門を叩きつつタタリ場を浄化し、正しき理の楔を打つことだ」
    そう口にしたのは三貴子の長兄・ツクヨミだった。
    三貴子はかつて創世二神が使用していた神殿に居住まうことになり、新しきタカマガハラの尊き神として迎えられた。
    イザナミが黄泉の国に堕ち、イザナギが神世へ去ったことを嘆いた天神族だったが、この新しい神々に再び喜びと敬意を表した。
    イザナギの従属神であった5人の筆神のうち、黄泉の国で穢れを受けてしまった導神とイザナミ封印に死力を尽くした極神は、自ら石像へとその身を変え、再び復活する日まで深き眠りについた。
    残りの蘇神・撃神・凍神はイザナギに以前と変わらず、三貴子の補佐として仕えることになった。
    今日もツクヨミは幼い二人の姉弟に、自分たちの使命について教えているところだった。
    ツクヨミ以外のアマテラスとスサノヲだが、何故か子供の姿で具現してしまっていた。
    それはナカツクニの復興に何らかに関連しているのではないかとツクヨミは読んでいる。
    ツクヨミ自身は宇宙の理という膨大な知識をイザナギから受け継いだが、アマテラスとスサノヲが受け継いだのはそれぞれ「光」と「力」。
    それらがナカツクニの希望と生命力を象徴しているのではないかと思う。
    すでに成人の姿を取り、自らの神力を安定させているツクヨミとは違い、アマテラスもスサノヲもまだ成長段階にある。
    アマテラス自身もまだ10代半ばの少女の姿であり、スサノヲに至っては10にも満たない少年の姿だ。
    三神にそれぞれ与えられた神器も、具現し使いこなせているのはツクヨミの八尺瓊勾玉のみ。
    スサノヲも天叢雲剣を振るい奮戦するのだが、天叢雲剣の象徴である清めの雷光は剣に宿らず、アマテラスの八咫鏡はその輝きをアマテラス自身の体内に納め、未だ具現する兆しすに見られない。
    逆に言えば二人を成長させることがナカツクニ復興に繋がるのではないかとも考えたが、神々の成長は長くゆるやかに過ぎてゆく。
    何十年も悠長に待ってはいられない。今は一日でも早く大地を浄化しなくてはならないのだ。
    長兄であるツクヨミが先頭に立ち、誕生したばかりの神々は妖怪たちと戦う日々に明け暮れているのだった。


    「私に邪悪な者を押し込める力を…私に光、そして加護と力を!」

    荒涼とした大地にアマテラスの神韻なる歌声が響く。

    三貴子の中で唯一謳い、イワナガと繋がることができるアマテラスの歌声により神力が波及する。

    「私はイザナギ神より与えられし使命を奏でる者
    ここは生き人の地 神にそぐわぬ者は消え去れ!」

    アマテラスの両手から粛清の炎が走り、妖怪どもを焼き尽くす。
    「はぁぁああああああ!!」
    黄金に輝く大剣・天叢雲剣を振りかざし、スサノヲが跳躍した。
    大型の妖怪を脳天から一刀両断し、振り向きざまに何体かをまとめて叩き切る。
    その後方では右手をかざしたツクヨミの姿があった。
    その右手には冷気が集い、八尺瓊勾玉が出現したかと思うと鞭のようにしなり、妖怪たちを薙ぎ払う。
    ここはナカツクニでも有数の美しさを誇る高宮原の平原。
    風の精霊たちの加護が篤い土地で年中優しい風に恵まれ、旅人たちの疲れを癒してきた。
    都へ続く関所が設けられ交易が栄えた土地であったが、今では羅生門の出現により風は澱み、人々は近づくことのできない地へと変貌していた。
    三貴子たちがいるのはその高宮原の平原でも小高い丘に出現した羅生門だ。
    高宮原に出現した羅生門のうちで最も大きく、最も妖気が濃い羅生門だった。
    その中退治した妖怪の数は知れず、瘴気とともに血生臭い臭いがあたりに充満しつつあった。
    その強烈な臭いに、アマテラスは愛らしい顔を歪める。
    その視線に先に、あるものが飛び込んできた。
    草木の陰に隠れてもそもそと動いているものがある。
    何かと思いおもむろに近づいてみると、二匹の幼い妖獣たちだった。
    傷を負った少し大きめの幼獣の横で心配そうに鳴く少し小さめの妖獣で、アマテラスの存在に気付くと、少し小さめの妖獣は手負いの妖獣を庇うように牙をむきだしに威嚇してきた。
    アマテラスは内心驚いていた。
    奪い、穢し、人々に害をなす妖獣にも、自分たちと同じように慈しみの情があるとは…。
    知らず知らずのうちに、アマテラスはその妖獣に向かって手を差し出していた。
    妖獣は毛を逆立て、ますます威嚇する。
    そっと差し出した手の先で、妖獣の身体を黄金の光が貫いた。
    スサノヲの天叢雲剣に貫かれた妖獣から飛び散った体液が、アマテラスの頬を濡らす。
    大きく振り下ろされた剣に突き刺さった妖獣を振り落とし、さらに手負いの妖獣へと大剣が迫る。
    「待って!」
    その大剣の前に躍り出たアマテラスに、スサノヲは寸でのところで剣を止める。
    「あっ…ぶないなぁ、あねうえ…!」
    「どうしたんだね、二人とも」
    そこへひと段落ついたツクヨミがやってくる。
    アマテラスは自分がしていることに戸惑いながらも、だがしかし、そうせずにはいられない自分に驚いていた。
    「あねうえ…どうしたの?」
    「これは…その…」
    「そいつで最後だよ。とっとと片付けちゃおうよ」
    あっけらかんと言うスサノヲだが、アマテラスはどうしてもそこを動くことができなかった。
    「あねうえ」
    若干苛立つ弟神に、アマテラスはどうしていいかわからなくなった。
    そのアマテラスの頬を絶対零度の空気が横切った。
    アマテラスははっと後ろを振り返ったが、すでに傷ついた妖獣は氷漬けになったあとだった。
    「やめて、あに様!」
    言うが早いか、ツクヨミの右手から八尺瓊勾玉が鞭のようにしなり、氷漬けの妖獣を粉々に粉砕した。
    その瞬間、羅生門を覆っていた結界が晴れ、邪気が霧散する。
    砕かれた氷塊は霧氷となり、きらきらと舞って空へと消えた。
    「…」
    その様子を、幼いアマテラスは呆然と見つめていた。
    自分は一体、何をしただろう。
    あの妖獣たちを見て湧いた感情は一体…。
    「さて、今日はここで終いだ。戻ろう」
    ツクヨミの言葉と同時にタカマガハラへ至る虹色の光が起立し、未だ妖獣たちへの思いを抱いたままのアマテラスを飲み込んだ。


    その夜、アマテラスはスサノヲとともにツクヨミの寝台の上にいた。
    三貴子にはそれぞれ部屋があてがわれているが、今日はアマテラスとスサノヲ、どちらからともなくツクヨミの部屋へとやってきたのだ。
    「なるほど。ではその妖獣は仲間を庇っていたのだね?」
    優しく問いかけるツクヨミに、アマテラスはこくんとちいさく頷いた。
    「うーん、わかんないなぁ」
    そう身を乗り出してきたのはスサノヲだ。
    「別に関係ないよ。妖怪や妖獣たちがナカツクニを蝕んでるのは事実なんだし、あいつらがいる限りはいつまで経ってもナカツクニは不安定なまんまだよ」
    「それはそうだけれど…でも…」
    なんと言っていいか分からず、アマテラスは口ごもる。
    「もし…もしもよ?私が妖怪たちに襲われたら…スサはどうする?」
    「決まってるよ!天叢雲剣で薙ぎ払う!」
    「そう…そうよね。それはきっと、あの妖獣たちも一緒なんじゃないかしら…」
    言われ、一瞬ぽかんとするスサノヲ。
    「あっはっはっは…何いってるの、あねうえ。あんな奴らとぼくたちが一緒なわけないじゃない!」
    笑い飛ばされ、しゅんとうなだれるアマテラスの頭を、ツクヨミは優しく撫でた。
    「アマテラス。妖怪と我々神々は異なる因果律の中で生きているのだよ。あやつらは人の悲しみや憎しみといった負の感情を糧にしているものたち。
    そしてそこから疫病や災厄を招く魔性のものたちだ。我々神々が駆逐しなくては、ナカツクニは永遠に闇に閉ざされたままになってしまう…それはわかるね?」
    「…はい…」
    かつての自分も、それが正義と思い戦ってきた。
    ナカツクニは神と人間たちの国。
    その土地に蔓延る悪鬼たちを一掃するのが己の使命と思い疑わなかった。
    今日あの瞬間までは。
    妖獣たちの中に、傷ついた仲間を庇う者がいるなどとは思わなかった。
    それはまるで人間や神々と同じではないか。
    あの妖獣の恐怖と憎しみに満ちた目の奥に、必死に仲間を守ろうとしている強い意志が見えた。
    その目を見ていると、どうしても手を上げる気にはならなかった。
    気が付いたときには手を差し伸べ、救おうとすらしていた。
    何故、自分はあの時、手を差し伸べたのだろうか…。
    「お前は優しいね、アマテラス」
    そう言いながら、ツクヨミは再び妹神の頭を優しく撫でた。
    「私とスサもいる…お前が恐れることは何もないのだよ。ゆっくり眠れるね?」
    「…はい」
    アマテラスは小さく頷いた。頷くしかなかった。
    夜も深まってきたので、スサノヲとアマテラスは自室に戻った。
    暗い寝台の上で、アマテラスはじっと考えていた。
    (私の使命は美しいナカツクニを取り戻すこと…邪悪な妖怪たちを成敗して、私たちのナカツクニを取り戻すこと…
    これで間違っていないのよね…?)
    アマテラスは膝を抱えるようにして、やがて眠りについていった。



    次の日。
    今日は高宮原の北部にある関所に近い羅生門の討伐だ。
    アマテラスは大きく深呼吸をして気分を引き締める。

    「私に邪悪な者を押し込める力を…私に光、そして加護と力を!」

    荒涼とした大地にアマテラスの神韻なる歌声が響く。

    「私はイザナギ神より与えられし使命を奏でる者
    ここは生き人の地 清めを知らぬ悪しき者たちは滅びなさい!」

    アマテラスの歌声により羅生門によって歪められていた空間が正常なものになり、あの世とこの世が繋がる。
    血生臭い、生温い風が一気に押し寄せ、アマテラスたちの衣をばたばたと大きく靡かせる。
    「来るぞ!」
    ツクヨミの声とともに異形の者たちがどっと押し寄せてくる。
    昨日退治したのは低級の天邪鬼たちだったが、今回は首なし地蔵や魔鏡といった手ごわい連中だ。
    アマテラスは祈るように両手を胸の前で握りしめると謳い始めた。

    「貴方たちはなぜこの大地を穢すの?貴方たちは何を求めてこの地を蝕むの?
    天と人と地の理を正すため 私は戦います どうか邪魔しないで!」

    アマテラスの両手から溢れる業火が首なし地蔵を包む。
    それも一瞬、首なし地蔵はアマテラスに向かって突進してきた。 「きゃっ」
    「あねうえ!!」
    寸ででかわし、転んでしまったアマテラスの後ろからスサノヲが躍り出る。
    スサノヲが首なし地蔵と格闘している間にアマテラスは慌てて立ち上がり体勢を整える。
    「大事はないかい、アマテラス」
    「は、はい、あに様」
    「首なし地蔵どもはスサノヲに任せよう。あの魔鏡たちはどうやら属性を持っているらしい。お前と私で叩こう」
    「はい!」
    ツクヨミとアマテラスは間合いを取りながら魔鏡たちへと近づいていく。
    なるほど、雲外魔鏡どもは火属性と氷属性を持ちながらグルグルと地面を走り回っている。
    「あれは人々の怨霊が乗り移ったもので少々やっかいだが、動きにさえ気を付ければ何ということもない。いくよ」
    「はい!」
    ツクヨミの腕から極氷の鞭がしなる。その鞭は烈火雲外鏡を捕え、見事に氷漬けにしてしまった。
    「はっ!」
    ツクヨミは左手に構えていた神刀で一刀両断、魔鏡を撃破する。
    一方、アマテラスは気を集中させ、両手を胸の前でぱんっと合わせる。
    するとアマテラスの腕を紅蓮の炎が包み、アマテラスの意思によって冷艶雲外鏡へと迫る。
    恐ろしい速度で走り回っていた魔鏡も、鉄壁の防御としていた氷の核を取り払われ、驚いて目を回す。
    その隙にアマテラスは神剣を抜き、魔鏡の中心めがけて神剣を突き出した。


    その時。

    今までに感じたことのない恐ろしいほどの怨念が神剣から怒涛のようにアマテラスに伝わってきた。

    (よこせ…よこせ…)
    (返せ…返せ…返せ…!)
    (よこせ…その瑞々しい生命力に溢れた美しい身体…)
    (よこせ!奪え!喰らえ!)
    (よこせ!返せ!よこせ!返せ!)
    (殺せ殺せ殺せ殺せキエロ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せクズが殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ消去殺せ殺せ殺せ殺せ)

    「!!」

    息を飲み、神剣から手を放そうとするが離せない。
    全身が冷たくなっていくのが分かる。
    遠くで兄と弟が呼んでいる。
    いけない、このままでは取り込まれてしまう!
    そう思ったのが最後。
    アマテラスは意識を失った。