大神異見聞録・本文

神代の章・第伍話「蜜月」

  • 頭に温かな感触を感じてイザナギは目を覚ました。
    「…ごめんなさい、起こしちゃった?」
    聞きなれた声にうっすらと目を開けると、そこに愛しい妻の顔が見えた。
    少し前と比べ、どこか大人びたように微笑むイザナミは、汗で額に張り付いた前髪を優しく払ってくれた。
    そこでようやく気づいたが、イザナギは朱色と白で統一された、だがしかし決して華美ではない自室の寝台の上でイザナミに膝枕されていたのだ。
    一体どれくらいそうされていたのだろう?
    周囲を見回すと見慣れた自分たちの部屋に、窓の隙間からは月光とかすかな星の光が差し込んでいる。
    淡い月の光が、波のようにイザナギの頬を撫でる。
    「…素敵だったよ、ナミ。また君と謳えるなんて思わなかった…」
    「私も。天神族の皆も謳ってくれていたのよね…とても気持ちよかったわ」
    起き上がろうとするイザナギの胸を華奢な両腕で押し止め、自分の膝に頭を戻す。
    「もう大丈夫だよ。ゆっくり休んだから…」
    「だーめ…私がこうしていたいの」
    そう言ってイザナミは前かがみになり、イザナギの唇を吸った。
    長い口付けのあと妖艶に微笑むイザナミを見て、イザナギはようやく気づいた。
    「…ナミ、少し変わったね。話し方も、滑らかになった」
    「うん、そうみたい…イワナガの所でみんなで謳って…みんなの心が流れ込んできたの。私、それを受け止めたくて…
    どうしたらいい?ってイワナガに聞いたら、慈しみなさい、母になりなさいって」
    「…母…」
    言われてみれば、イザナミの瞳は以前と比べれば寛容のある、どこまでも包み込むような深い色を湛えている。
    少女のような無邪気な笑みではない。見る者を安心させる、月光のように穏やかで優しい微笑みだ。
    「ねぇナギ…私、今回謳ってわかったことがあるの」
    「なんだい?」
    「尊神に与えられた『ゲーム』という摂理…あの意味を取り間違えていたのかもしれないわ」
    「…というと?」
    「私たち、どちらかが勝つことで謳う権利を手にしていたけれど、一人で謳ってはいけなかったのよ…
    理を成すほどの動力を一人でイワナガに送っては駄目だったのよ。どんな時でも、二人では謳わなければならなかった。
    でも、私たちは『ゲーム』に勝ったほうが謳い、世界の理を安定させようとした…そこに無理が生じたのよ」
    イザナミの声は優しくまどろみを誘い、イザナギは全身の力が抜けていくのを感じた。
    「そうだ…そもそも独り神であった尊神はわざわざ僕たち二人を創られた…二人で然るべき世界なのに、なんだか不自然だよね」
    「だからこう思ったの…覇権を争うのではなく、私と貴方が一つになればいいんだって…」
    黒い、黒曜石の目が少し恥らいながらイザナギを見つめた。
    イザナギは言葉を待ったが、イザナミは言葉を発することなく、ゆっくりと寝台から降りた。
    そしてイザナギに背を向け衣服に手をかける。
    細い肩が露わになり、イザナミの纏っていた長衣は何の抵抗を受けることもなくするりとイザナミの身体をすべり落ちた。
    「ナミ…」
    次に振り返ったとき、イザナミは一糸纏わぬ姿だった。かつて創世二神としてこの世に誕生したときと同じように。
    イザナギは、こんな夜闇の中でも輝くような白い肌に見惚れていた。
    「ねぇ、ナギ…貴方も」
    言われ、イザナギは身を起こし長衣を脱いだ。
    均整のとれた体躯はまるで彫像を思わせ、しなやかに伸びる筋肉にイザナミは言葉なく静かに見惚れた。
    「…なんだかちょっと恥ずかしいね」
    自分も見惚れておきながら、少し恥ずかしそうにイザナギは身を縮める。
    「…そう、ね」
    イザナミはゆっくりと寝台へと足をかけ、華奢な裸体をイザナギへと寄せた。
    イザナギも妻を抱き寄せその額に頬を寄せる。
    「…柔らかい…ナミの身体」
    「ナギの身体は温かいわ…」
    「…触ってもいい?」
    問われ、頬を赤く染めたイザナミだったが、一つゆっくりと頷いた。
    「わ、私も…触りたい」
    イザナギは承諾の口付けを額にする。二人の手が、暗闇の中でぎこちなく相手の身体をまさぐった。
    顔も、手も、腕も足も同じような形をしているのに全然違う。
    イザナギの胸板は厚く逞しく、イザナミの胸の双丘は張りはあるのにとても柔らかかった。
    その胸に顔を埋め、イザナギは何度も優しい口付けを浴びせる。
    イザナミは恥ずかしそうに、だが少しどこか嬉しそうに、イザナギの額へ、頬へと口付けを返す。
    「不思議だね…どうしていままで気づかなかったんだろう」
    「そうね…私たち、こんなに似ているのに、こんなにも違う」
    寝台の上で睦みあいながら、若い夫婦は何度も口付けした。
    「ナギ…」
    呼吸が乱れ、甘く官能的に囁くイザナミの声。
    その声に胸が締め付けられるような切なさと愛しさを感じながら、イザナギはやや強引にイザナミの唇を吸った。
    「ん…あ、う…」
    激しい口付けにイザナミは眉をひそめる。
    唇が離れ、イザナミの口の中に忍び込んでいたイザナギの舌が、唾液の糸を引いて離れた。
    「ふあ…」
    「ナミ…君が好きだ。どうしようもなく好きなんだ…」
    熱く告白しながら唇でイザナミの胸や脇腹を愛撫する。一つ一つが狂おしいほどに愛おしい。
    今まで押さえられていた激情がふつふつとわきあがってくるのを感じた。
    胸の奥が、身体が熱い。
    まるで強い酒に酔っているいるような感覚だ。
    「私も…貴方が、好き…ナギが、大好き…」
    今までに感じたことのない感覚に翻弄されながらやっとの思いでイザナミが囁く。
    ただただ、全力でお互いを求めていた。
    男と女。
    こんなにもお互いを意識したのは初めてだった。
    引き離されていた魂が一つになる。
    そうなることを望みながら二人はどこまでも求め合っていた。
    イザナギの汗がイザナミに落ちて、イザナミの汗と混ざり、寝台へとたれてそこ濡らした。
    イザナギの手が伸び、イザナミの下腹部−女の花びらを探り当てる。
    途端、イザナミの身体が電流が走ったかのようにびくりと小さく震え、呻いた。
    イサナギは一瞬戸惑い、手を離そうとしたが、見つめたイザナミの潤んだ目が訴えていた。「続けて」と。
    ゆっくりと傷つけないように女の花びらを優しく愛撫され、胸や首筋に口付けされ、イザナミは息苦しそうに喘ぐ。
    初めて感じる快楽に翻弄されながら、イザナミもゆっくりとイザナギの下腹部へと手を伸ばした。
    「ん…」
    一番敏感な部分に触れられ、イザナギが低く呻く。
    イザナミの手は快感に震え、触れるか触れないかのような弱弱しい愛撫であった。
    触れられている部分に熱が集まっていき、はちきれそうになるのを感じた。
    「ナミ…誓いの、言葉を…」
    途切れ途切れの夫の声に、イザナミはうっすらと目を開いた。
    「誓いの言葉を」
    そう口にしたイザナギにも、唐突に言葉がひらめいた。
    まるで魔法の小箱を精霊がそっと鍵で開けたような不思議な感覚。
    初めて口にした時は、微かな感覚のようでしかなかった確かな想いが二人の間に湧き上がった。
    お互いの瞳の中にお互いの顔を映しながら、二人はそっと囁いた。
    「僕は、君と一つになる…愛してる、ナミ」
    「私は貴方と一つになる。愛してるわ、ナギ」