大神異見聞録・本文

神代の章・第壱話「創世二神」

  • 「…」
    「…」
    目を開くと淡い光が優しく差し込んできた。
    (やあ、お目覚めかい)
    姿なき、声なき声が二人の頭に響いた。
    (我が名はアメノミナカヌシノカミ。原初の種にして世界の礎となる波動存在。
    君たち二人はボクから生まれた)
    言われ、似て非なる容姿を持つ二人は互い見つめ合う。
    一人は長身の男神。穢れなき純白の、足元まである長髪と額に光明の紅隈、そして燃えるような紅の瞳を持つ青年。
    一人は青年よりも背の低い女神。黒檀のような、青年とおなじくらいの長さの髪と、右頬に薔薇の刺青と
    黒曜石の如き瞳をもつ女性。
    アメノミナカヌシノカは男神の名をイザナギ、女神の名をイザナミと呼んだ。
    (これから君たちには国造りに励んでもらいたい…あそこから下界が見えるだろう)
    「あそこ」と言われ、指を指されたわけでもないのに二人はその場所に移動し、下界を見下ろす。
    下界は黒い液体のようなものだった。
    満たされ大地の基盤も安定しておらず、まるで海面に浮いているどろどろの脂の塊のような状態だった。
    (あのどろどろの塊を固定し、国を作って欲しい…その前に)
    唐突にイザナギとイザナミの前で光が弾けた。
    眩しさに一瞬目を閉じた二人だったが、おそるおそる目を開くと、そこには光輝く苗が浮かんでいた。
    (それは神樹の苗だよ。それをこのタカマガハラの中心、霊峰アマノカグヤマの麓に植えてタカマガハラの礎にするといい。
    神樹が根付かせタカマガハラの理を磐石なものとしてから国造りに励むといい)
    二人は苗に手を伸ばし、その温もりを感じながら力強く頷いた。
    (後は君たちにまかせる。どうすればいいかは分かるだろう。
    ボクは波動存在となって常に生命の詩を謳い続けよう。それは耳には聞えないが波となって
    世界を、君たちを包むだろう…)
    アメノミナカヌシノカミはそこで一呼吸おき、すぅっと大きく息を吸ったのが感じられた。

    ()

    聞えてきたのは今まで話していた言葉とは違う言語で紡がれた詩。
    胸の奥がくすぐったいような、どこかうずうずして喜びが沸き上がってくる。
    不可思議な祝詞は様で多様な意味を持ちながら、ただ一つの大いなる創造の意志に満ち溢れ2人の胸に響いた。
    アメノミナカヌシノカミの詩に反響し、タカマガハラの大地が、まだわずかながらの生命の欠片たちが
    それぞれ意志を持って詩に応えようとしているのが分かる。
    そしてそれらは自らも脈動し、波動を発する。
    波が重なり大きな揺らぎとなり、詩に共鳴する…!

    ()
    幾重にも波が重なり、うねり、世界に波及する。
    それは世界中に広がり、タカマガハラに僅かな生命の種を落とした。
    あるものは植物として根付き、あるものは動物として生を受け地に足を付けた。
    小さな生命たちはその連脈を伸ばし繋ぎ、タカマガハラに最初の生命の礎を張り巡らせた。
    そして使命を果たした波動存在ーアメノミナカヌシノカミはその意志を二柱の神に預け、ここより高度な精神領域
    ー神世へとその存在を移した。

    そんな満天の夜。

    タカマガハラに残された二人は、初めてお互いを見合った。
    同じ形をしているけれど、どこか違う。
    自分と同じところ、自分と違うところを探しながら、お互いがお互いを見つめあい、認識した。
    そこに羞恥心や偏見はなく、ただ、そこに存在しているものを受け入れる二対の瞳があった。
    最初に声をかけたのは青年ーイザナギのほうだった。
    「初めまして。僕はイザナギ」
    「…」
    イザナギの問いに、イザナミは答えない。
    不思議そうにきょとんと首を傾げただけだった。
    「僕はイザナギ。君はイザナミ。分かる?」
    自分と目の前の佳人を交互に指指しながらイザナギは説明するが、分かっているのが分かっていないのか、
    イザナミであろう目の前の人物は一言も発する気配がない。
    「えーと…」
    イザナギが困れ果てていると、その唇にすっと指が添えられる。
    突然の柔らかい感触に面食らうイザナギ。
    目を白黒させていると、イザナミの唇が動いた。
    「…あなた、イザナギ。」
    そしてイザナギの唇に当てていた指を、今度は自分の唇にぴっとりと当てる。
    「わたし、イザ、ナミ。」
    直接唇同士が触れ合ったわけではないのに、どうしてか、イザナミのその行動がとても愛らしく、
    また彼女の声が聞けたのがどうしようもなく嬉しく、イザナギの頬が紅潮した。
    「そ、そう…!僕がイザナギ。君はイザナミ。僕たちは夫婦なんだよ」
    「イザナギとイザナミ。…ふうふ?」
    「ええっと…その、つまり、一緒にこの世界を作っていくんだ」
    「…この、せかい…」
    言われ、イザナミはぐるりと周囲を見渡す。
    アメノミナカヌシノカミの詩によって僅かながらの生命力を与えられた大地、タカマガハラ。
    そしてその眼下に広がる黒い海と、土台すらない土塊の群れ。
    「せかい…くらい…」
    「うん。まだこの世界には僕たちの力が定着していない…僕が光、君が闇を司っている…
    その神力が国造りの鍵になるみたいだよ」
    「あなた、ひかり。わたし、やみ」
    「そう。その力を相互変換してこの世界に浸透させれば、あのどろどろとした塊が立派な国土となって生命を繁栄…
    させてくらしいよ」
    最後はやや自信なさげにすぼんでしまったイザナギだが、その目は好奇心で生き生きと輝いていた。
    一方イザナミは少し不安そうに下界を見下ろす。
    まるで底なし沼だ。落ちたら這い上がれずに飲みこまれてしまう…!
    そんな恐怖に背筋が寒くなり、イザナミは思わずイザナギの手に自分の指を絡める。
    「…ん」
    「あ…」
    2人が同時に声を上げた。
    お互いの指が触れたその瞬間。
    何かが閃いた。
    何かが胸の奥底から溢れてきたというか。
    これは喜び?恐怖?
    お互いの感情が入り混じり、声なき声で2人は一瞬のうちに対話する。
    (イザナミ、君は怖い?)
    (そう、わたしはこわい)
    (僕がいるよ、一人じゃないよ)
    (わたしにはあなたがいる…それはうれしいこと?)
    (僕にはとても嬉しいことに思う。君のこの指が温かいことが、とても嬉しいよ)
    (わかるわ。あなたのゆび、とてもあたたかい。やさしいこどうがきこえてくる)
    (もし君が怖いと感じたら。もし君が一人で寂しいと思ったら。僕を呼んで。
    必ずそばにいる…ううん、これからは夫婦としてずっと一緒。だから大丈夫だよ)
    (ふうふ?)
    「うん、そうだ。夫婦、だよ」
    声に出していい、イザナギはゆっくりとイザナミの視線と同じになるように背をかがめた。
    何故か、そうしたほうがいいように感じたからだ。
    どこまでも深い、黒曜石のような瞳が試すように、どこかおびえたようにイザナギを見つめる。
    その視線が、イザナギの胸を甘く撫でた。
    愛おしい、そう感じた。
    微笑み囁くように「大丈夫」と呟き、イザナミの唇にそっと自分の唇を寄せた。
    「…!」
    少し怯えたように身をすくませたイザナミだが、視線だけはイザナギから離さなかった。
    どこまでも深い、紅玉のような視線はただただ優しく、慈愛に満ちた瞳で自分を見つめていた。
    その想いに揺るぎがないことを感じ、イザナミはイサナギの唇を受け入れた。
    それがどれくらいの時間だったか分からない。
    一瞬だったか、それとももっと長かったのか。
    お互いの心臓が早鐘のように鳴っているを感じながら、2人は唇を離した。
    頬を染め、嬉しそうに自分の胸に身を寄せ合う若い二人。
    互いの身体に腕を回しそっと抱き合う。
    「ええと、こういうときは…」
    「こういうときは?」
    口ごもるイザナギに、イザナミは不思議そうに聞き返した。
    「あい、し、て…る…
    うん、確かそんな感じだったかな?」
    「アイシテル?」
    「うん、愛してる…ナミ、愛してる」
    「わたし、ナギを…あいしてる」
    「そうだね…ありがとう」
    「あり、がと」